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利島・新島・式根島へ

2019.02.21

2000年の伊豆群発地震では、即座に利島・新島・式根島の被災者のもとへ

利島(としま)は、富士箱根伊豆国立公園の中にある美しい島です。およそ150世帯300人の方が生活を営んでいます。 伊豆諸島の北部に位置し利島全域で利島村となっています。

新島(にいじま)は、隣の式根島とともに新島村に属しています。自然があふれる島で、海水浴・サーフィンを楽しむ観光客が多く、島民は観光や漁業を営んでいます。この美しい利島、新島そして式根島も、2000年の伊豆群発地震では甚大な被害を受けた。公明党は、新島村(新島)に、行政の手の届かない点を補い、被災者のキメ細かなニーズにこたえていくことを目的にした連絡所を立ち上げ、早速、住民相談を実施して被災者の声を聞いた。

住民相談では被災者から、(1)本村地区と若郷地区を結ぶ都道のトンネル化(2)観光業や漁業の立て直しへ支援策の早急な実施―などの要望が出された。まさに現場の声だった。

これに先立ち、式根島では被災者を見舞うとともに、被害状況を調査。被災者の方からは、「公明党が式根島に足を運んでくれて感激しました。復旧対策が一日も早く進められることを期待しています」という声もいただいた。常に現場へ行き、現場の声を聞くことの重要性を改めて痛感した。

2000年8月 伊豆群発地震の被害を受けた島々へ真心の救援募金を届ける

山口なつおは、公明党伊豆諸島災害対策本部として8月17日(2000年)、火山、地震活動が活発に続く利島村、新島村、神津島村を訪問し、災害支援募金活動で寄せられた真心の義援金を各村に贈呈した。

この日の義援金は、同対策本部が党市民活動委員会(遠藤和良委員長)と連携し、「伊豆諸島災害被災者を支援する会」とともに東京、神奈川、静岡の一都二県を中心に集めたものです。


2000年7月 伊豆諸島群発地震の被害に苦しむ自治体のために救援募金に協力

山口なつおは、公明党伊豆諸島災害対策本部として、党市民活動委員会(遠藤和良委員長)らとともに、活発に続く伊豆諸島の火山、地震活動による被災者救援の募金活動を7月23日(2000年)、スタートした。

このうち、党東京都本部議員団と伊豆諸島災害被災者支援の会は同日午前、東京・新宿区のJR新宿駅西口駅頭で街頭募金を行った。山口なつおは、調査団として訪れた利島、新島、式根島そして神津島の深刻な被災状況を報告。

山口なつおは「がけ崩れにより道路網が至る所で寸断され、日常生活も困難な状況にある。島民の皆さんに温かい支援を」と訴えた。

2000年7月 伊豆諸島群発地震が発生~各地の被害状況を調査へ~

2000年7月に、伊豆諸島の島々を群発地震が襲った。山口なつおは、公明党の伊豆諸島災害対策本部のメンバーとして、各島へ被災現場の調査活動に渡った。

被害が大きい新島村北部の若郷地区には、島中心部に通じる都道が十カ所で寸断され、海上経由でしかたどり着くことができなかった。船で若郷地区の港へ到着した党調査団が最初に見たのは、落石で無残に押しつぶされた車だった。落石防止ネットがあるものの、すさまじい揺れの前には全く無益だったことを物語っていた。

徒歩で地区の中心部へ向う途中、復旧工事関係者から大きな声がかかった。「いま、地滑りが起きているから、走って通り抜けて!」。地域住民の生活再建には、一刻も早い道路の開通が必要だが、一日約一メートル動く地滑りやがけ崩れが現在も続いているため、思うように進まないのだという。

震度六の地震発生時、授業が行われていた若郷小学校裏でも、大規模ながけ崩れが発生した。調査団がその現場に足を踏み入れ、思わず息をのんだ。校舎にあと数十センチメートルまで巨大な岩石が迫っていたからだ。「これが校舎を直撃していたら……」。高さ数十メートルの断がいは、いつ崩落するか分からない。応急対策のため視察していた都庁関係者も、「どう手をつけていいか分からない」とつぶやくばかり。約三百人の地区住民が、安心して暮らせるためにはこうしたがけ崩れ防止対策が不可欠だが、その見通しは立っていなかった。

新島村の出川長芳村長から復旧対策に関する要望書を受け取った党調査団は、村役場二階の若郷地区住民の避難所を訪れた。「いつ家に戻れるのかと心配でしょうが、私たちも皆さんの生活再建のために全力を挙げます。頑張ってください」「細かなことでも私たちに何でも言ってください」。一行のねぎらいと励ましの言葉に、場内から期せずして大きな拍手が。「こうした励ましが何よりもうれしい」と出川村長。涙を流して喜ぶ婦人の姿も見受けられた。

「きょうは大きな地震が続いており、現場の視察は危険です」。つづいて訪れた神津島村役場で被災状況や今後の対策などの打ち合わせ中も、ひっきりなしに、ミシ、ミシ、ミシ……と役場の建物が大きく揺れる。当初、陸路で調査する予定だったが、急きょ、海上からの視察に切り替えた。

台風5号の余波で大きく揺れる漁船から、絶壁が大きく崩落する瞬間や、落石で埋まってしまった村道やトンネルを視察。さらに、島東部に位置する多幸湾に上陸し、都道の崩落現場などを調査した。翌日も、避難勧告が出されている神津島の与種、築地、上の川の各地区で、地震後の大雨で発生した土石流に飲み込まれた民家や、地滑りで大きく傾いた民宿などを視察。被害の深刻さを改めて認識した。 「これだけ被害が大きいと、国と都の支援なしには被災地の復興はできない。強く訴えていく」と、新島、神津島両村関係者らとの懇談で、公明党として強力に支援していく方針を示した。