ビックてい談〜平和な大地を取り戻したい〜

地球上に1億1000万個以上が埋設されているといわれる“悪魔の兵器”地雷。現在でも毎日約70人が犠牲となり、紛争後も長く人々を苦しめ、生活の場を奪い続けている。そこで、地雷探知ロボットの開発に取り組む広瀬茂男・東京工業大学大学院教授、民間レベルで地雷除去活動を展開する雨宮清・山梨日立建機社長と、公明党の山口なつお政務調査会長代理(参院議員、参院選予定候補=東京選挙区)に、現状と今後の課題について語り合ってもらった。

2007年3月18日(日)公明新聞 日曜「ビックてい談」より



【山口】お二人が、地雷除去に取り組んだきっかけは何ですか?
【雨宮】1994年に商用でカンボジアを訪れた際、地雷で手足をなくした子どもたちとの衝撃的な出会いが原点となりました。帰りの飛行機の中で自分に何ができるかを考え続け、「機械屋として、地雷を安全に素早く取り除く機械を作って犠牲者を一人でもなくそう」と決意しました。私どもが開発した除去機には、地雷除去と土地の耕作が1台でできるタイプもあります。それは単に、地雷除去で終わらせず、農民が自立できるような基盤を整備し、その国の発展の支援をするためです。そうした中で見られる子どもたちの笑顔が最高なんです。
【広瀬】これまで、本当に人間の役に立つロボットの開発をしたいと思ってきました。その意味で、地雷除去は以前から重要だと感じていました。95年に地雷探知ロボットの研究に着手しましたが、当時は地雷探知にロボットを活用する研究は国内では皆無。ロボットが武器に転用される可能性を最も恐れていたのでしょう。でも、これは人道的なことであると考え、研究を続けました。現在のロボットは、バギー車を改造し、アームを取り付け、遠隔操作ができるとともに地雷探知作業を自動で行えるようにしました。ロボットを現場に運ぶのに自走できれば楽ですし、市販車両で対応すれば全体の開発コストを抑えられます。
【山口】開発で最も、ご苦労された点は?
【雨宮】一番苦労したのは、対戦車地雷に当たったときの衝撃の度合いが分からなかったことです。国内では対戦車地雷はなかなか実験できませんでしたが、山口さんや経済産業省などの協力を得て、03年に青森県内の自衛隊演習場で爆破実験をしました。その後、アフガニスタンで実験してみました。私どもの除去機は、鎖が飛んだり、曲がったりしましたが、除去はできました。ヨーロッパ製の除去機は、対戦車地雷に当たると完全に壊れました。大事なことは、壊れてもすぐに修理ができるということです。そうでないと、作業が止まってしまいますから。
【山口】私には政治家として二つの壁がありました。一つは、除去機の導入によって、現地の人々の手掘りによる地雷除去の仕事が奪われてしまう懸念でした。しかし、これは誤解です。手掘りに比べ、機械なら約50倍もの面積の地雷が除去できます。機械で早く安全に地雷を除去すれば、農業や経済開発に取り組め、長期的には、その地域の人々のためになります。最初は抵抗がありましたが、徐々に理解が進んできました。もう一つの壁は、日本の武器輸出三原則に抵触する可能性があったことです。かつては、地雷除去機としては輸出ができず、“灌木除去機”として輸出した時代がありましたが、公明党は、一般的に使われる機械であり、人道目的であるとして、武器輸出の対象から外すよう主張。この結果、武器輸出の対象にしないことを02年に経済産業省が決定しました。
【雨宮】そうですね。部品も含め、除去機が輸出しやすくなりました。
【広瀬】やはり大型マシンで一気に整地するのは効率的ですし、その後も使いやすくなります。ただ、どうしても地雷が残ってしまうのです。われわれは、最後に必ず行われる人手による最終確認作業の自動化をめざしています。


【山口】除去機や探知機の基礎的な実験は、ほとんど終わってきました。今後は、地雷除去後の復興をどう支援していくかです。その良い例として中米・ニカラグアが挙げられますね。
【雨宮】ええ。01年にニカラグアへ地雷除去機を納入したんですが、われわれが地雷除去した後の土地で、現地の人々がオレンジ栽培を行っています。今では、年間60万ケース、日本円にして約2億円の輸出ができるようになりました。彼らにとってみれば、かなりの外貨収入です。また、コーヒーや高原野菜の栽培も盛んに行われています。
【山口】最初に地雷除去、次に難民の定住、荒れた大地を平和な農地に変え、収穫に結びつける。そういう連続した支援の姿を日本が世界に示していけば、日本に対する世界の認識も大きく変わると思います。
【雨宮】「日本人がこんなことをやるとは夢にも思わなかった」とよく言われます。われわれは、ねじり鉢巻きをして、命懸けで地雷原に入り、平和構築のために汗を流しています。
【山口】日本は武器を輸出したことがありません。政府は、公明党の後押しによって98年、対人地雷禁止条約(オタワ条約)を締結し、03年には自衛隊が保有していた約100万個の対人地雷を完全廃棄しました。そういう国柄ですから、他国で埋められた地雷を取り除くのは、最も日本にふさわしい貢献の在り方だと思います。


【広瀬】外国の平和構築に貢献することは、ひいては日本の安全保障につながっていきます。私は災害時のレスキュー部隊を支援するロボットの開発にも取り組んでいますが、地雷除去の分野でも外国からの要請に即応できる専門チームをつくり、作業員にとっても安全な日本の技術を世界に伝えていくべきです。
【雨宮】日本の若者でも、現地の人と一緒に汗を流し、命懸けの仕事をしてみたいという人はたくさんいます。今年だけでも17回、各地の大学などで講演しましたが、皆、すごいですよ。夢を持っています。
【広瀬】昨年10月にカンボジアで行われた実証実験の時も、東工大の学生が、現地の人に探知機の
使い方を教えたんですが、皆、ある種のカルチャーショックを受けました。大学卒業後、すぐに企業に行くより、現場体験をさせた方が良い教育につながると思います。多くの若者が人のためになりたいと思っていますが、そうした国際性を養う“場”が日本にはありません。
【雨宮】公明党は、特に教育に力を入れていますから、そうした体験教育の場を、ぜひつくってほしい。戦争がいけないことは分かっていても、現実に世界各地で戦争が起きています。平和構築とは何なのかを考える機会をつくってあげてほしい。「平和構築=若者の教育」ですよ。
【広瀬】工学の分野も理論も重要ですが、実際に手で触ることをしなければ良いものは作れません。自分の作ったものが世界に貢献するとなれば、学生たちの目も生き生きとしてきます。
【山口】それこそ、本当の人間教育につながっていきますね。公明党も平和構築に貢献する青年世代の人材育成、体験の場をつくることに大いに力を入れていく決意です。本日は、有意義なお話をどうもありがとうございました。

雨宮 清 氏
1947年、山梨県生まれ。山梨日立建機(株)社長。95年、独自に地雷処理機開発の社内プロジェクトチームを設立し、98年に1号機の開発に成功。以降、改良を重ね、現在、同チームが開発した処理機は世界5カ国で52台が活躍している。

広瀬 茂男 氏
1947年、東京都生まれ。横浜国立大学工学部卒。東京工業大学大学院理工学研究科教授(機械宇宙システム専攻、工学博士)。ロボット工学の第一人者で、レスキュー用ロボットや惑星探査用ロボットなど、その開発分野は多岐にわたる。