集団的自衛権の行使〜限定的、国民の理解求める〜

掲載記事2014年07月02日 (水曜日)


20140702155106_00001.jpg安全保障に関する立法措置をめぐる政府・与党の検討も、ようやく、ひと区切りを迎える。

「公明党も大変だね」「山口さん頑張ってね」、なかには「一歩も引くな」などいろいろな声をいただく。公明党の党員や支持者からではない。自民党の支持者からの声なのだ。同様の声は野党支持の方からも寄せられる。

それぞれの立場や思いから発せられているのだろうが、どこか「高みの見物」に聞こえる。もっと、「そういう自分たち自身で声をお出しになったらどうか」とも思う。

マスコミも大きく論調が分かれるから、公明党をネタにして十字砲火を浴びせる。「キジも鳴かずば撃たれまい」と言いたいところだが、このテーマでは、「平和の党」を自任してきた公明党は、鳴いても鳴かなくても「撃たれる」宿命にある。冷静に議論を進めることが大切だ。

私は昨年の参院選のころ、集団的自衛権の行使を丸ごと容認することには「断固反対」とテレビ番組で述べた。それを承知の上で、安倍晋三首相は今年5月、「安保法制懇」の報告書を受けた記者会見で、「個別的か、集団的かを問わず、自衛のための武力の行使は禁じられていないとの考え方は、これまでの政府の憲法解釈とは論理的に整合しないので、採用しない。自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません」と述べた。アフガン戦争も同様だろう。

このように、集団的自衛権の行使を丸ごと容認することは、否定されたのだ。それにもかかわらず、世の中、これにとらわれた論調が目立つ。

こうして、安倍首相の設定した「土俵」は「わが国の安全に重大な影響を及ぼす場合に、限定的に集団的自衛権の行使を認める必要があるか」に狭められた。

与党協議にあたって、公明党は、政府が長年とってきた憲法解釈をベースにして、安全保障環境の変化に対応しつつ、憲法解釈の歯止めがきちんとかかるように努力してきた。

政府が長年守ってきた憲法の柱は「自国(日本)を守るための武力行使のみ許され、他国を守るためだけの武力行使は許されないことである」との規範を明確にした。

具体的には、他国への攻撃であっても、自国を守るための武力行使が許される根拠は「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底からくつがえされる『明白な危険』がある」場合とし、恣意的な判断ができないようにした。いわば個別的自衛権に匹敵するような場合に限定し、「専守防衛」に徹する平和主義を貫くことにした。

したがって、この憲法の柱を変えたいならば、憲法改正によるほかないこともはっきりさせた。

また、日米同盟の抑止力を強化するとともに、対話による外交的な課題解決がさらに重要であることを肝に銘じたい。

今後、国会論議や立法過程を通じて、丁寧に国民の理解を求めることに努めたい。

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